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仙台高等裁判所 昭和49年(う)186号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人佐藤唯人および同長谷川靖晃連名の控訴趣意書記載のとおりであるから、これをここに引用する。

控訴趣意第一点について

一、所論は先ず、本件において被告人が岩佐市太郎に対して加えた暴行は軽度なものであつて、到底、原判決が同人の死因として認定した心筋硬塞との間に因果関係を有するものではないから、原判決が因果関係を肯認した点は、事実を誤認したものである、というのである。

しかし、記録を調査すると、原判示尊属傷害致死の事実は、挙示の証拠により所論因果関係の点を含めすべて肯認するに十分であり、当審における事実取調の結果によつても右判断を左右するに足りない。

すなわち、右証拠、ことに医師鈴木竹一作成の死体検案書、同村上利作成の鑑定書、司法警察員作成の実況見分調書、原審証人岩佐節、同岩佐昌支および同北川つね子の各供述記載によれば、被告人は原判示犯行時刻頃同判示の岩佐市太郎(当時五七年)方階下南東隅六畳間に入り、同室の中央西寄りに就寝中の同人に対して「つね、つね」と叫びながら、二回位その掛布団の上から強く踏みつけ、次いで同人を同室東隅に引張つていき、その首などを掴んで同所の柱に同人の右前額部のあたりを、「ゴキン」と音がする位に四回程打ちつけるなどの暴行に及んだこと、その際被告人は大きな声で「オヤジは殺してやるじや」と叫び、市太郎は恐怖に駆られたごとく「こわい、こわい」と声を立て、或は「ババや、いまひろに殺される、どごだじや」と申し向けたりしていたが、やがて被告人は市太郎の頭部を右柱に接したままの状態において同室内から立ち去つたこと、市太郎は以上の暴行によつて、骨折こそ生じないが、頸部器官の各所(右側胸鎖乳突筋、右側胸骨舌骨筋、同甲状筋部および甲状腺右葉下端部等)に約大豆大ないし拇指頭面大の筋肉内出血或は被膜下出血、右前額部の三、四か所に約二ないし五センチメートルの、一部に表皮剥脱を伴う皮下出血を被り、さらに、右側下口唇皮膚部、同内側粘膜部、前胸上部、背部の左右肩甲部附近、或は左右上肢、左下肢等の各所に約粟粒大ないし拇指頭面大の表皮剥脱、皮下或は粘膜下出血等の多数の傷害を負わせられたこと、そしてその死因は心筋硬塞であり、同症状は同人の右頸部内部の出血をもたらした圧迫により発生せしめられたことが認められる。

してみると、本件被害者の傷害と死亡との間に因果関係の存することは明らかであり、たとえ所論のごとく、市太郎には心筋硬塞の既往歴があり、本件犯行当時被告人はこれを知らなかつたなどの事実があつたとしても、これにより右因果関係になんら影響を及ぼすものではないというべきである。原判決には所論の誤認は存せず、論旨は理由がない。

二、次に所論は要するに、原判決が被告人の心神喪失を認めなかつた点において、事実を誤認したものである、というのである。

しかし記録を調査すると、被告人は本件犯行時において、心神耗弱の状態にあつたのに止まるとして、弁護人の心神喪失の主張を排斥した原審の判断は正当であり、当審における事実取調の結果によつても右判断を左右するに足りない。

所論は、被告人の本件犯行当時における精神状態は、精神医学上の病的酩酊すなわち心神喪失というべきものであつた旨主張するものであるが、刑法三九条に規定する心神喪失、或は心神耗弱は、刑事責任能力の有無程度に関係する法律上の概念であるから、その適用にあたつては、精神医学或は心理学的見地からする被告人の精神状態の解明に依拠する場合もあるけれども、窮極的には裁判所の規範的判断に俟つべきであるところ、原判決挙示の証拠を検討してみると、被告人は本件犯行当時、前記市太郎方二階に妻つね子(昭和二四年三月二一日生)と同居し、徒歩一五分位の距離にある大畑中央魚市場に運転手として稼働していたものであつたが、飲酒を好み、酩酊してはしばしば、些細なことに憤激してつね子に対し殴打するなどの粗暴な振舞に及び、本件犯行の三か月位前の頃には、飲酒のうえ同女の母岩佐節の面前でつね子を些細なことから殴打した際、節が「親の前でたたかれるとは情ない」と口走るや、被告人は同女にほこ先を向けて「ぶち殺してやる、こんちきしよう」などと罵り、また、さらにつね子を殴ろうとするところを止めようとした節の上に転倒して、同女に対し入院加療を要する肋骨々折の傷害を負わせ、その際市太郎から「おめえみたいな者出てしまえ」などと云われることがあつたこと、被告人は市太郎方に同居している間において、時として同人に対し面白くなく感ずることがあつたり、酔余「オヤジを殺してやる」などと口走ることもあつたが、酩酊していないときには、つね子との仲も格別悪いというほどのこともなく、市太郎や節に対しては、実の娘のつね子よりもなにくれとなく気を使う一面もあつて、表立つて市太郎らとの間に気まずいというような関係にはなかつたこと、ところで被告人は本件犯行当日(昭和四五年八月一九日)の午後七時三〇分頃から勤め先の当直室で同僚の杉本晃一と飲酒し(自らは清酒四合位を飲む。)、一か月程前に交通事故で死亡した友人高屋敷松雄のことなどを語り合つた後帰途につき、同日午後一〇時三〇分頃市太郎方と道路一つ隔てた向いの中村孝太郎(当時二〇年)方に赴いて、二、三度同人を呼び、また同人方ガラス窓を叩きながら、電気を消せ、などと叫んだが、同人において被告人を相手にしなかつたため、やがて市太郎方に戻り、「くそまくらい、どんころくそまくらい」などわめきながら階段の踏板を掴みつつ二階へ上り、同所で矢庭に、つね子を二、三回殴打し、同女がそれにも拘らず、被告人を寝間着に着替えさせようとして、着衣を脱がし、パンツ一枚とするや、被告人は寝間着を着ずに、丹前を羽織り、同女に向つて「死んだ友達の代わりにお前を殺してやる」などと云つてさらに粗暴な振舞に及ぶ気配であつたため、同女は階下に逃れ、間もなく節を連れて二階に戻ると、被告人は節に対し「くされババー来やがつたな」「立派なババーだな」などと悪態をついているうち、やがて「つね子を今日殺さねばだめだ」、「頭に来た」などと目つきを変えて怒鳴り出し、その状況から粗暴な振舞に出られることを惧れた同女らは急ぎ戸外へ逃げ出たこと、しかし同女らは戸外が寒く、衣類をとりに再び屋内に入り、その際市太郎に対して共に戸外へ出るようすすめたが、同人は「自分で建てた家だから逃げない」と申し向け、熟睡中のつね子の姉の子昌支と共に前記居室に残り、他方同女らは同日午後一一時過頃附近の大畑警察官派出所に赴いて、松橋忠男、工藤次郎両巡査を伴つて同日午後一一時二五分頃自宅に戻つたが、この間に前記被告人の兇行が行われ、つね子らは前記居室東隅の柱に頭を接して既に死亡した市太郎を発見し、昌支から被告人の所為によることを知らされたこと、松橋巡査は、本件犯行を知ることなく直ちに二階に赴いたところ、被告人が布団の中で足をばたつかせているので、「何をしているんだ」と尋ねるや、被告人は反発するような態度で「そつちこそ何しに来た」などと口答えし、間もなく本件犯行を知つた同巡査が「なぜ殺したか、逮捕する。」と申し向けるや被告人は「俺は殺さない、解剖すればわかる。」などと云い、同巡査に手錠をかけられて階段を降りる際には、繰り返えし、俺はやつていないなどと訴えていたが、階下庭先で、つね子および節から、「なぜ殺した」と迫まられるや、うなだれていたこと、同巡査は前記派出所まで被告人を連行したところ、その間被告人は足元がふらつくとか、前のめりになるということはなく、やがて同派出所において取調を受けたときには、犯行を否認し、さらに連行されたむつ警察署においても、犯行を頑強に否認するほか、「松川事件を知つているか、あのようになつたらどうするんだ」などと取調官を牽制するごとき言辞を弄したりしたが、当時ろれつがまわらないという状況ではなく、弁解録取書にもしつかりした字体で署名をなし、その直後頃(翌二〇日午前二時頃)の測定の結果、被告人の呼気一リットルにつき一・〇〇ミリグラムのアルコールが検出されたこと、被告人は捜査官による取調に対しては、終始、犯行を否認するものの、犯行時頃の行動については、酔つて市太郎の部屋に入つたことや、同人を抱いて「おと、おと」と呼んだが、同人は返事をしなかつたことを記憶している旨を述べていたこと、更に、原審証人佐藤時治郎の供述記載、同証人作成の鑑定書によれば、被告人は、精神病質者ではないが、自己中心的、易怒的、自己顕示的、非協調的傾向を有し、飲酒によつてかかる性格傾向が容易に露呈する問題性格者で、本件犯行時においては、被告人の人格によつて全く統禦し得ない状態にはなかつたが、前認定の諸情況下において右性格の発現を露呈した、高度ではないが破綻酩酊(問題酔から発展するも、病的酩酊と云えない状態)の状態に陥つていたことを認めることができる(右認定に反する原審証人島岡明の供述記載および同人作成の鑑定書の記載は信用できない。)。

以上認定の事実関係を総合考察すれば、被告人は当時つね子を追つて市太郎の寝室内に入り、同女と思つて就寝中の市太郎を強く踏みつけたが、それが市太郎と知るや、酩酊による興奮と粗暴性から、昻まる心情のはけ口を市太郎に向け替え、前記暴行に及んだ後同人が動かなくなつたことに驚き、二階に戻つたものの、前記のように松橋巡査から、「なぜ殺したか」と尋ねられるや、「俺は殺さない。解剖すればわかる。」と答えたものと十分に解することができるのであつて、被告人は本件犯行時において是非善悪を弁別し、これに基づいて行動する能力が著しく減弱した心神耗弱の状態にあつたことは明らかであるが、右能力を全く欠如した心神喪失の状態にあつたとは到底認め難い。

してみると被告人の心神喪失を認めなかつた原審の判断は正当として是認されるべきであり、本論旨も理由がない。

控訴趣意第二点について

論旨は量刑不当の主張である。

しかし記録および当審における事実取調の結果によれば、前記のように、本件は被告人において酔余、当時の妻つね子に対し暴行の目的で同女を追ううち、就寝中の同女の父市太郎にほこ先を変え、同人の頸部などを掴んで、その頭部を柱にぶつけるなどの暴行を加えて、同人をして心筋硬塞の症状を惹起させて、即時、死に至らしめたという事案であり、本件犯行の罪質、動機、態様、結果の重大性など諸般の情状にてらすとその刑責は重いものというべく、被告人は被害者とは、昭和四五年四月頃から同居していながらも(昭和四三、四年頃にも一時期同居したことはある。)、些細な感情のわだかまりが時として生ずることのあつた点を除けば、格別仲が悪いことはなく、むしろ酩酊していないときは細く同人のため気を使う一面もみせていたこと、被告人の前科は業務上過失傷害罪による罰金刑一犯のみであること、犯行時の勤務先においては真面目であり、つね子に対する粗暴な振舞も、同女の被告人や同女の両親に対する態度に至らぬ点があつたことも、その一因となつていること、被告人は本件後同女と離婚し、昭和四八年に現在の妻のり子と結婚して一子を儲うけ、同女の父の経営する会社で真面目に運転手として稼働し、夫婦仲は円満であること、悔悟の情が認められるなど、被告人に有利な諸事情を十分斟酌しても、被告人に対し、心神耗弱による法律上の減軽をなしたうえ、懲役二年六月の実刑を科した原判決の量刑は、まことにやむを得ないところであつてそれが重きに過ぎ不当であるとは認められない。本論旨も理由がない。

よつて刑事訴訟法三九六条に則り本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

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